―宇宙物理学がはからずも示す驚くべき世界観、人間観―(前編)(後編)
「生き方を考える探究の会」10月例会提言 平成21年10月17日、11月21日
1、心底より理解することの意味
「私のいのちは大宇宙、仏様から預かったものです。」この言葉をどこまで真実のこととして受け止められるかによって、自己の死に対する構えも違ってきますし、生き方にも大きく影響してきます。いうまでもなく死は万人に訪れるものでそれほど怖いものでない、と思っている人は案外多いのですが、それは、死が間近に迫っていないからであり、死に至る状況をリアルに想像する力が弱いためではないかと思います。それが証拠に、想像力に富んだ著名な作家や評論家たちは、普通の人とは違って想像以上に死への恐怖を抱いている場合が多いからからです。たとえば作家日野啓三、大西巨人、評論家加藤周一を挙げることができます。
日野啓三氏は数々の文学賞、芸術賞受賞者であるが、彼が「未来を食べて生きる」(2001年のある朝日新聞夕刊)で次のように述べています。
「ガンを次々と宣告されてからの夜々は夜半に目が覚めたりすると、ベットごと底なしの暗く深い穴に沈んでいく恐怖に、朝まで寝付けなかった。」
大西巨人は『神聖喜劇』で知られているが、彼も2005.3.16の朝日新聞夕刊「文化」欄で、以下のように述べています。
「夜、死について考えると以前はガバッと起き上がって眠れなかった。今はこう思っている。『啄木が生きていた時代には、大西巨人はいなかった。それを怖いとは思わない。何だ、元に戻るだけなんだ』」彼がこれを書いたのは85歳の時でした。果たして「死とはかつて生きていなかった頃に戻るだけ」だと考えることで、彼のあれほどの死への恐怖を克服できるものであろうか?とも思います。
加藤周一氏も朝日新聞の夕刊に連載されている「夕陽妄語」のある文章の最後に、前段の社会や歴史の不合理について述べた内容とは直接関係のない一文を、唐突に付け加えて終わっています。その一文とは、「けだし『死』こそこの世でもっとも不合理な現象である。」というものです。当時加藤周一氏八十数歳、最晩年の文章です。加藤氏にとって死は、理性ではとうてい受け入れがたい事柄であったようで、この文章の背後には死の恐怖がへばりついているようにさえ思われます。
最後の例として、諏訪中央病院院長の鎌田實氏の友人・高橋卓志氏の例を紹介します。高橋卓志氏の父君は禅宗の名僧といわれた方で、日頃の深く悟った言動から「死の壁」も軽く越えて逝くに違いないと思われていたのでした。ところがガンを患い、死の間際に来ると、あろうことか見舞いに来た息子にしがみつき、恐怖で震えていたといいます。
しかし、これらの例のように、たとえ死期が近づき耐えられない恐怖が見舞うとしても、「私のいのちは大宇宙、仏様から預かったものです」この文言を真実のこととして受け止めることができている場合には、大宇宙の意志や仏様の存在を確信しているのですから、死を迎える構え方はよほど違ってくるはずです。また死に際してだけでなく、ふだんの生きる気分もよい意味でよほど違ったものになるはずです。
そのような観点からさまざまな人生論などを読むと、実際上記のような文言に出会うことがしばしばあります。しかしそう書いてはいるものの、著者自身、心底より仏様が実在するとは思っていない場合が少なくないのです。何か悟ったようなかっこよい言葉として書いていて、よく読んでみると仏の存在など信じてはいなことがわかってきます。現代人の常識のもとでは、それが当然なのかもしれません。この言葉は、ある禅宗の老師の言葉であり、サラリーマンであった彼が定年後の厳しい仏道修行の中で実感されたものであると理解されるのですが、いまでは私もほぼ同じ考えを持つにいたっています。ほぼ同じというのは、「私のいのちは大宇宙、仏様から授かったもの」という際の「仏」のとらえ方が、稲のDNA解析で知られる遺伝学者の筑波大学名誉教授村上和雄博士のいう「サムシング・グレート(偉大なる何者か)」に近い感じでとらえているからです。村上氏は、いのちの構造があまりにも複雑かつ精緻なものであるので、このようなものが偶然の重なりの中で天然自然につくられてくるとはとても考えられない。自然の背後にあってそれを導く偉大な何者かが存在しなければ、いのちという精妙な働きはありえないことであると考えたのでした。私もこの立場に共鳴しており、その立場から、最初に現代の生命化学や宇宙物理学が明らかにしている生命の仕組みや宇宙の構造を確認し、そこから宇宙物理学が示す世界観、人間観に迫ろうと思います。
2、生命とは何か
ア、細胞発生の奇跡
以下の引用文は、細胞発生の奇跡について述べているものです(奇跡という言葉を用いるのは、今日の大半の科学者にとっては大変問題になるでしょうが)。
「細胞を構成しているアミノ酸は20種類であり、それらが周密なペプチド結合の鎖をつくり、それらは3000種もの特定の酵素にそれぞれ依存している。そういう推論にたって生物学者が計算した結果、一つの細胞をつくるには、約1000以上もの酵素が一定の秩序のもとに集まらなければならない。それは(もしできたとしても)数十億年の歳月を必要とし、(しかも)その(できる)確率は10の1000乗分の一となる、としている。DNA二重らせんモデルの提唱者のひとりクリックも同様な結論に到達し、『生命の発生はほとんど奇跡だ』と述べている。」(佐藤進著『立花隆の無知蒙昧を衝く』)
ところで、細胞というものは生命を持つ最小限の生命体であり、それは膜を持ち、自己複製機能と自己維持機能をもつものです。細胞には基本的に二種類あり、細胞の中に核のない原核細胞というものと、核のある真核細胞とがあることがわかっています。
分子生物学者によって単純な方の原核細胞の構造が明らかになったとき、学者たちは沈黙してしまったといいます。原始的な細胞だからうんと単純なものであるにちがいないという予想を裏切って、あまりに複雑であったからです。やがて真核細胞の構造も次第に明らかになりますが、こちらの複雑さは原核細胞とは比較にならないほど複雑なものだったのです。細胞は長い進化の歴史においてこの二種類しかなく、二種類の細胞間には複雑さにおいてあまりに飛躍がありすぎて、これ一つをとっても、ダーウィン進化論の主張である生物の漸進的変化説は破綻しているといわざるをえません。細胞の発生はそれ以前の物質の漸進的変化によるとは考えられず、何らかの偉大な叡智ある存在の意図のもとに創造されたもの、と考える方がはるかに理にかなっていると言えるのです。
イ、細胞の驚異的複雑さ
細胞膜の仕組みにしても実に複雑で美事にできており、真核細胞の中の核に格納されているDNAの構造はワトソンやクリックによって発見されたのですが、その構造の複雑かつ精緻さは恐るべきものであったのです。生命体の設計者ともいうべきDNAの、そのうちの遺伝情報をになう染色体は二本の対になった紐からできているのですが、その紐をつなげると1.8メートルにもなるのです。
細胞の大きさは人間の場合、平均して10ミクロンすなわち 100分の一㎜ です。核はその二分の一の大きさなので、つまり 200分の一㎜ ということになります。
この微小な核の中に約二メートルもの染色体が格納されているのです。DNAをあの小さな核の中に収めるには40万分の1に縮小されねばならないことになります。しかも、一箇所も損傷することなく整然と折りたたまれなければならないのです。折りたたまれるためにはそこにおびただしい数の酵素が適切に秩序正しくかかわることが求められるわけです。このような想像を超えた複雑な現象が、いったい物理化学の法則のみの機械的営みのなかで可能になることでしょうか。不可能であるのは火を見るより明らかです。
ウ、細胞がお互いに「阿吽の呼吸」で特化する?
ところで人間の身体は60兆もの細胞から出来ているのですが、一つ一つの細胞には身体全体の遺伝情報、すなわち身体の全設計図が入っているのです。ところがそれぞれの細胞はそのごく一部の情報を読み取って、肝臓になったり、筋肉になったり、眼になったりするのです。ベストセラーになった『生物と無生物のあいだ』の著者福岡伸一氏によると、ある時期(細胞分裂の最後)に来ると細胞同士がお互いに阿吽の呼吸で「おまえは肝臓になれ」「オレは眼になる」といった具合にそれぞれの役割を決定しているというのです。しかしどう考えても、きわめて多くの細胞がそれぞれに、分裂の最終場面で身体のすべてのパーツを過不足なく作り出すのは「阿吽の呼吸」などでできるわけがなく、それができるとしたら全体を見通す司令塔のようなものが存在するはずで、その指令に基づいて行ってはじめて可能になる営みに違いないのです。生命活動のうちこの現象一つだけとってみても、人間の想像力をはるかに超えた叡智ある営みが見て取れます。村上和雄名誉教授は細胞の仕組み全体を見て、このような仕組みが天然自然にできるとはとても思えない。背後にサムシング・グレードの働きがあるにちがいない、そう主張しているわけです。博士か正統な科学者であるにもかかわらず、今日の「正統派科学者の常識」から逸脱した発言をなし続けている理由もここにあるのです。
3、宇宙とはどういうものか
サムシング・グレートの存在については、実は今日の宇宙物理学の立場からも否定できないものになっています。それを述べるために、最初に宇宙とはどういうものか、その概要にふれることにします。そののちに、宇宙創造と生命の神秘との関連に言及するつもりです。
まず「天の川銀河」の広大さにふれ、ついで地球から太陽および月への距離がどのぐらいあるかを確認するところから話を進めます。光の速さは一秒間に30万㎞走ることは知られていますが、光が一年走り続けた距離を一光年といい、それは宇宙の距離を測る単位になっています。そうすると天の川銀河の直径は十万光年であり、厚さは一万五千光年になります。ちなみに地球から月までの距離は37万㎞なので、月は光の速さにして一秒ちょっとのところにあることになります。太陽までは8分ちょっとかかります。太陽に最も近い隣の太陽(恒星)までの距離は4光年あり、天の川銀河には太陽のような自ら光を放つ恒星が2000億個あるとされているので、それだけでも我が天の川銀河がどれだけ大きいか想像するのが難しいくらいです。ところが世界一大きいハッブル電子望遠鏡による観察では、そのような銀河(島宇宙)が1000億個を超えることがわかっています。天の川銀河の隣のアンドロメダ星雲との距離は230万光年といいますから、宇宙全体の大きさ広大さはまったくの想像外です。
そのような宇宙にも始まりがあったとわかったのは、今世紀に入ってだいぶ経ってからのことでした。いわゆるビッグバン説ですが、今日ではビッグバン説は現代宇宙物理学の定説になっています。また今世紀に入って、宇宙の歴史、たとえば宇宙年齢もはっきりとわかってきました。つい最近まで100億年とか150億年とかいわれていたのですが、2003年にNASAが(宇宙マイクロ波背景放射の)データー解析の結果137億年であると確定したのです。このようにビッグバンを起点にして宇宙創生がはじまり、今の宇宙があることが科学的に確定しているのです。しかし以下に示すプランク定数との関係によって、すなわちハイゼルベルグの不確定性の原理によって、物理学はプランクサイズ以前の宇宙には原理的に遡れないのです。つまり物理学そのものの限界から、宇宙がどうしてつくられたのかその起点に立ち入ることができません。したがって必然的に、この宇宙の起点には物理学とは異なる次元の働き・作用があったことになります。
資料 プランク定数h
プランクサイズ
プランクの長さ 10の33乗分の一センチ
プランク時間 10の44乗分の一秒
プランクサイズ以前の宇宙には迫れない。
そうして、この宇宙の起点にかかわる問題は実は生命発生にとっても大変重要なかかわりを持っているといわなければなりません。実は、宇宙創造およびその進化の歴史が生命の発生と緊密なつながりのあることを現代宇宙物理学が明らかにしていることを知って、私は驚愕しました。そして私は、そこに深い意味が横たわっていることを直感したのです。そうした視点から、提言のテーマである「私たちのいのちは大宇宙、仏様に預けられたものです」の真実性に迫ってみようと思います。
提言テーマ 宇宙物理学が示す驚くべき世界観、人間観 (後編)
1 若田光一さんの国際宇宙ステーションでの活躍
日本の研究実験棟「希望」での若田光一さんの活躍は、ついこの間の出来事でした。ステーションの周囲は真空で、酸素も水もなく、生命の生息する条件は皆無です。にもかかわらずステーション内は引力以外では地上と変わりない状況なっており、酸素や水が供給され、湿度や温度が適度に保たれ、体調が正常に維持されるようになっているのです。
若田さんが船外に出て作業する際は、宇宙服を着ます。宇宙服は酸素や温度などいのちを維持するための条件が整えられているだけでなく、降り注ぐ致死的といわれる無数の電磁放射線から防御できる仕組みになっています。
宇宙の致死的空間に、上記のようなステーションを打ち上げ、そこで生活ができ、研究実験ができるということ、また、これらすべてはNASAが関与し、NASAからのコントロールのもとで機能しているということに、驚きを禁じ得ません。これはまさに、人間の科学力の勝利であり、人間の企画と知性の成果といえます。
2 地球も巨大な宇宙ステーション
ところで、私たちは普段あまり意識することもなくこの地球に生き生活しているのですが、考えてみればこの地球も規模の大きい宇宙ステーションといえないでしょうか。なぜなら地球の周囲は生命の成立する条件のない致死的空間にとり巻かれているにもかわらず、豊かな生物の生息する惑星であるからです(物理学の一つの法則である熱力学第二法則は別名エントロピー増大の法則といいますが、この法則は宇宙内の秩序あるすべてのもが時の経過と共に次第に無秩序なものになり、破壊され毀れていくというものです。ところが地球にはこの法則に逆らって、単純な物から次第に秩序ある高度な構造物、すなわち生物が存在するようになっているのです)。これは、まったく宇宙を支配する物理法則に逆行する現象であり、したがって、物理学上も謎とされているゆえんです。
わが地球においては、生命体に不可欠とされる酸素や炭酸ガス、あるいは水がふんだんにあり(今やこれらの存在も次第に危ぶまれるようになってきてはいますが)、生命体に必要な適度な引力、気温、湿度、光などが揃っています。生命体はそれらのどの一つが欠けても発生することも存続することもできないのです。生命の条件がこのようにみごとに幾つも揃うのは、たまたま、あるいは偶然のなせる技なのでしょうか。
たとえば気温にしても、地球の太陽との位置がもう少し金星に近いところにあったとしたら、金星は年平均温度400℃ですし、火星に近いところにあったとしたら、そこは年平均気温マイナス50℃ですから、とても生命が成立する条件にはなかったのです。また光のありようにしても、生命体にとってきわめて重要なものでした。
3 光の生命体への適合性
光の適合性について、京都大学名誉教授渡辺久義著『人間原理の探究』に、分子生物学者マイケル・デントン著『予定された自然――生物学の法則は宇宙の目的を開示する』の中の記述が紹介されています。その要点は次のようです。
宇宙空間は電磁放射エネルギー(光や熱)に満ちています。そのうち最も短い波長はガンマー線で最も長い波長のものは100㎞を超えるものです。電磁波の分布幅(スペクトル)は途方もない広いものですが、地球に届く放射線はその幅の微小な部分にすぎないというのです。微小な部分とはどれくらいかと言えば、分布幅全体の10の25乗分の一に当たるというのです。
これは、たとえると1000兆の100億倍のトランプカードを宇宙空間に広げた状態を想像して、その中のたった一枚のカードに相当するということです。まさに天文学的数字のカードの中の一枚に当たる微小な幅の電磁波だけが、地球の地表に届くというわけです。しかもその微小な電磁波は近紫外線~近赤外線に当たり、それは同時に可視光線と重なっており、生命にぴったり有用な光だというのです。さらに驚くべきは、可視光線以外のすべての電磁波は生命にとって致死的かきわめて有害なものであるというのです。しかもそれらは地表に届く前に、大気圏のガス(オゾン層も含む)や水蒸気にすべて吸収されてしまうということです。
科学的に明らかになっているこうした事実を知って、尽きない疑問が生じます。どうして10の25乗という途方もない数のトランプの、そのたった一枚に当たるほどの微小な電磁波だけが地表に届くのか、なぜ届いた光は生命にすべて有用であるのか、また、それ以外のすべてが生命にとって致死的できわめて有害であるのに、それが全部大気圏のガスに吸収されるようになっているのか。また、これらの生命にとって都合よく一致する現象は、たまたま偶然にそうなっただけだとすると、それらのいずれかがちょっとだけ違ったケースはいくらでも考えられるところであり、そうすると、これらすべてが一致する現象を偶然として片付けてよいのか、ということが問題になってきます。現に世界的に知られ信頼されているイギリスのブリタニカ百科事典(最新十五版)には、この現象を「劇的に狭い窓」とか「畏怖の念に打たれる」と記されているということです。(ブリタニカには「太陽の可視光線が地上の生命のあらゆる面に対してもつ重要さを考えるとき、大気圏による吸収や水の吸収によるスペクトルの劇的に狭い窓については、畏怖の念に打たれずにはいられない。」と記されている。…『人間探究の原理』より)
ですから、地球に生命体が存在するのは、こうした光や2で述べた幾つもの偶然が重なった結果ということになります。しかし果たしてこのような生命にとっての必須の条件が、ほとんどありえない小さな偶然のいくつもの重なりによって成立するということがありうるでしょうか。そう考えるにはあまりに不自然であり、無理があるというものです。少なくとも科学的説明とは言えません。
4 宇宙の定数
『宇宙の定数』という本があります。ケンブリッジ大学教授、天文学、数理物理学者のジョン・D・バロウの著書です。そこには冒頭部分にこう書かれています。
「宇宙は絶えず変化し運動しているが、それとは別にまったく変わらない不変なものがある。」
宇宙の基底に岩盤のように恒常不変のものがあるというのです。それは何かと言えば、以下の枠内に記したものです。
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自然定数(宇宙の定数) |
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・絶対の量をもった光の速さc(1秒間に30万㎞) ・絶対の量をもった重力係数G ・電子一個の明確な電気の量e ・プランク定数h プランクサイズ プランクの長さ 10の33乗分の一センチ プランク時間 10の44乗分の一秒 ・巨大数(たとえばグラハム数といって、宇宙で観測できる素粒子の数1080)
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つまり光の速さ、重力係数、電子一個の電気の量、プランク定数、巨大数などです。これらは宇宙物理学者によって「自然定数」と呼ばれてきました。バロウはそれを「宇宙の定数」と呼んでいます。そして光の速さや重力係数やプランク定数などの自然定数はそれぞれ無関係にバラバラにあるというのでなく、相互に密接に関連し微調整されているというのです。
ところでバロウによれば、宇宙物理学は、宇宙は次の四つの異なる不変の力、作用力によって支配されていることを明らかにしています。その四つの力とは以下のものです。
重力、電磁相互作用、弱い相互作用(弱い核力)、強い相互作用(強い核力)です。これらの宇宙を支配する四つの普遍的力も相互に微調整されており、それに光の速さや重力係数、あるいはプランク定数など自然定数がかかわっており、四つの力と自然定数は相互に絶妙に釣り合っています。また「すべての物理学的単位群」も、すべて自然定数によって築かれているのです。
「この宇宙を今あるようにし、想像される他の世界(宇宙)とは違うものにしているのは、この謎の不変の事物である。」とバロウは言います。もしこれらの自然定数の一つでも、そしてその数値がちょっとでも違っていれば、今とはまったく別の宇宙になっており、地球の存在もわれわれの生命もあり得なかったといいます。しかもどうして自然定数がいまのようになっているのか、これがまったくの謎だというのです。この謎は科学者の間で「宇宙の最も奥底にある秘密の暗号」とか「深遠な真理」などと呼ばれているということです。そしてまた、そのような謎の定数を人間が把握できたことも実に不思議だというのです。なぜ「決まった値」になっているか、アインシュタインでさえわからなかったのです。彼が述べた有名な逆説的な言葉に、「宇宙について唯一理解できないことは、それが理解できることである。」というのがあります。すなわちアインシュタインは、いまの宇宙を創りだした不変の自然定数を、経験によらない純粋知性が作り出した高度な抽象体系である数学によって把握できたことの不思議を言っているのです。
4 宇宙物理学が到達した「人間原理」
バロウは前掲書『宇宙の定数』の「人間原理」の章の冒頭で、人間原理なるものについて、次のように述べています。
「この宇宙に生命に必要な特性があるという認識が早くに現れて以来、『人間原理』と呼ばれるようになるものへの関心が高まり、天文学者、物理学者、哲学者の間で、その有効性や、それはつまるところどういう意味かをめぐり、広い範囲での議論が続いてきた。そこまで関心が高まった理由の一つとして、・・・生命が存在しうるような自然定数の値は、(物理法則に添って考えれば)間一髪の差でそうなるように見えるということにある。自然定数がわずかに異なるだけで、われわれのような生命がありえない世界は簡単に想像できる(からだ)。」
要するに、物理法則のみを前提に考えるなら、つまり「科学的」に考えるなら、生命が存在しうる自然定数の値がいまよりわずかでも違っていたら、われわれ人間は存在していなかったのです。そこで、わずかの違いとはどれくらいかといえば、そのことに関して、佐藤進著『立花隆の無知蒙昧を衝く』(社会評論社)の中に述べられているので、それを転記します。佐藤進氏は京都大学名誉教授で、振動抑制、科学技術論の研究者です。
「ビッグバンの爆発力が小さければ、宇宙は縮んだままである。このような(今ある宇宙にした)ビッグバンが起こった確率はペンローズによれば、10の60乗分の一である。爆発力が10の60乗分の一だけ違っていても、現在の宇宙は存在しなかったろうという。また、今あるような宇宙の形成過程において、水素とヘリウムの存在量の比が適切な値になるには、重力と弱い相互作用の相対的な強さが絶妙なバランスになっていなければならない。弱い相互作用の力が今よりほんの少しでも強かったならば、宇宙は100%水素だけの世界になっていたであろう。というのは、宇宙の初期にあった中性子はすべて崩壊しただろうから。反対に弱い相互作用の力がほんの少しでも今より弱かったら、中性子はほとんど崩壊する間もなく陽子と結合してヘリウムの中に取り込まれていたであろう。ひとたびヘリウムに取り込まれれば、エネルギーの関係で中性子は崩壊できない。陽子もすべて捕まって、宇宙は100パーセント、ヘリウムだけの世界になっていたであろう。
このように、(生命の素材に結びつく)重い元素をつくる仕組みは、綱渡りのような危ないバランスの上に成り立っている。しかも、そこに電子も一枚噛んでいる。・・・こうしたすべてのことを考慮し
計算した結果、R.ペンローズは(今ある)宇宙の生成確率を 10の282乗分の一 という想像することができ
ないような小さい値としたのである。」(ロジャー・ペンローズは数学者、宇宙物理学・理論物理学者で、ロンドン大学、ケンブリッジ大学等の教授。車椅子のホーキング博士との共同研究者で、ブラックホールには必ず特異点があるという「特異点定理」をホーキングと共に証明した業績が有名。)
要するに今ある宇宙も、したがって豊かないのちに満ちた地球も、考えることも想像することもできない小さな確率のもとに存在しているということになるのです。
5 超越的次元
宇宙物理学は、宇宙がおよそ137億年前にビッグバンにより誕生したことを明らかにしています。それ以来、宇宙は三つの段階を経過してきています。未だに解明の進んでいない最初期宇宙は、今日地上にある加速器で生じさせられるよりも高エネルギーの素粒子からなる高温の状態であり、またほんの一瞬であったとされています。そのためこの段階の基礎的特徴はインフレーション理論などにおいて分析されていますが、大部分は推測からなりたっているのです。
次の段階は初期宇宙と呼ばれ、高エネルギー物理学により解明されてきています。これによれば、はじめに陽子、電子、中性子そして原子核、原子が生成されたのです。中性水素の生成にともない、宇宙マイクロ波背景が放射されました。これは宇宙のどこでも観測しうるものです。そのような段階を経て、最初の恒星とクエーサー、銀河、銀河団、超銀河団は形成されたのです。クエーサーとは活動銀河核(ホワイトホール)といわれるもので、この形成によって生命の素材である炭素や酸素などの重元素が作られたのです。
ところで最初期宇宙が存在したほんの一瞬とはプランクサイズの時間を指し、それは先に「自然定数」のところで示した10の44乗分の一秒というきわめて短い時間です。「物理学ではハイゼルベルグの不確定性の原理によってプランクサイズ以前の宇宙には原理的に介入できないのです。そうした宇宙には私たちは(物理学的には)想像することもできないのです」(『立花隆の無知蒙昧を衝く』。) その最初期宇宙では、先に述べた世界を支配する普遍的な四つの作用力が、高熱の中で一つになっていたということです。このことだけはワインバーグサラム理論で証明されている事実です。
したがって、プランクサイズ以前の宇宙はほんの一瞬とはいえ、確かに存在していたのです。しかし物理学的見地からはそこに迫ることはできず、その意味で超越した次元にある世界ということになります。
6 宇宙には意志がある
それに関して、元NASA主任研究員で、太陽物理学・高エネルギー宇宙物理学の世界的権威、元神奈川大学学長、神奈川大学名誉教授、早稲田大学理工学部総合研究センター客員顧問研究員の桜井邦朋博士は、次のような興味深い発言をしています。
「もし、“宇宙意志”という言葉を使うことが許されるのであれば、よほど強靱な意志が宇宙になければ、人類という種は存在しなかったと思えるほどである。宇宙はその形ができあがった後に、人間を生み出そうとしたのでなく、ビッグバンの時点から、すでにそうなるように準備していたのではなかろうか。」(『宇宙には意志がある』クレスト社)
宇宙が生成する最初期の時点で、つまりプランクサイズ以前の宇宙おいて、すでに四つの基本的な作用力は準備されていたと考えられますし、しかも後に生じる自然定数は相互に、そして四つの力とも絶妙に釣り合っているという事実を踏まえると、宇宙は何者かによって創生の最初の時点から今ある宇宙を創り出そうとする意志があったのではないか、桜井氏がそう考えるのも無理からないと思うのです。このことはカルト教団の教祖が言っているのでなく、世界で活躍する宇宙物理学者の見解であることに注目すべきです。
7 「超知能」「人を圧する設計」「絶妙の秩序」
これも先述の『人間原理の探究』に紹介されているのですが、物理学者ヒュー・ロスも彼の著書『創造者と宇宙』の中で、次のように述べています。
「宇宙の特性を研究する研究者たちと私の交わした会話において、またこの問題についての論文や著書を読んだすべての私の経験上、ただ一人として、宇宙が何らかのやり方で、生命のための適した環境となるように考案(設計)されたという結論を否定する人はいない。天文学者というのは本性上、独立心旺盛で、偶像破壊的な強い傾向をもっていて、少しでも異議を唱える機会があれば、これを捉えようとする人たちである。しかし、この宇宙論の微調整とか注意深い設計といった問題については、あまりにも有無を言わさぬ証拠があるために、これにあえて反論する人のことを、私は今だかつて聞いたことがない。
・・・・
しかしながら昨今起こっていることは、生命を支える宇宙の設計ということについて天文学者が論ずるようになったというだけではない。次のような言葉が使われているのである。――いわく「誰かが自然を微調整(fine tunned)した」「超知能」「人を圧倒する設計」「奇跡的」「神の手」「究極の目的」「絶妙の秩序」「きわめて微妙なバランス」「著しく巧妙な」「超自然的作用(Agency)」「超自然的計画」「あつらえて作った(tailor-made)」「至高の存在」「摂理的に考案された」――すべてこれらは明らかに(自然現象に対する表現ではなくて…筆者)一人の人間について使われる言葉である。この設計についての発見は、単に創造者が一人の人格であることを明確にしただけでなく、それがどんな人格であるかを示すいくらかの証拠をも提供してくれているのである。」
ヒュー・ロスが言おうとしているのは、学者の誰一人として、何らかのやり方で宇宙は生命が存在するように設計されているということを否定したものはいないということ。それだけ有無を言わさぬ証拠があるからであり、それは、これまで述べてきた絶妙に釣り合っている自然定数(宇宙の定数)を指しているのです。それは絶妙に秩序づけられ、人(科学者)を圧倒する設計になっており、それゆえに超自然的作用のはたらきを認めざるをえず、その作用の送り主は明らかに超知能を有し、しかも高貴な人格性さえ帯びた存在であることを思わせるというのです。
8 宇宙生成と人間存在の目的
本論の最初に戻って考えると、国際宇宙ステーションは、生命にとって敵対的条件下にある宇宙空間において、人間の手により重要な目的をもったものとして打ち上げられました。その中で人間が研究作業を遂行しているのです。まさしく宇宙ステーションは人類が意図・目的のもとに建設しないかぎり存在しえないのであり、偶然に頼ってできるものでないのは言うまでもありません。同じように地球も、致死的宇宙空間のなかでいのちを宿す惑星になっており、生命体は今日知性を有する人間にまで進化を遂げています。ということは、地球も何らかの高次の知性とパワーの持ち主によって明確な意図・目的のもとに建設されたと想定せざるをえません。そうでなければ、生命にとって敵対的条件下にある宇宙空間の中で、生命に適した地球の生成と、そこでの生命体の発生および進化などありえなかったからです。
前編で述べたように生命の発生は、ある生物学者が計算して10の1000乗分の一という、考えることも想像することもできない小さな確率とし、DNAの二重らせん構造の発見者として知られるクリックの計算でも、それと同じ結果が得られたことから「ほとんど奇跡的だ」と述べているように、「科学的に」考えれば考えるほど、そのような気の遠くなるような小さな偶然に頼るしかすべがないのです。ということは私にいわせれば、そのようなありえない確率、言い換えれば小さな偶然に頼ること自体、すでに科学の立場を失っているのです。そもそも何であれ現象を科学が想像もできないような小さな確率や偶然に頼って説明しようとすること自体、科学の立場を放棄したも同然です。科学的立場を堅持するなら、そのような都合のよい偶然はありえなとする立場に立つべきです。すべては原因から結果が生じるのであれば、何事もおびただしい好都合な偶然の連続などに原因を求めてはならないはずです。そうであれば現にこうして地球に人間が存在しているのですから、この現実に説明を与えるとすれば、そこに物理学的偶然性を超えたその意味で何らかの超越的な叡智あるはたらきが作用した結果であるとしなければならないはずです。この思考過程を認めることは、決して科学の正当性を失うことにはなりません。
これまで見てきたように、宇宙物理学によれば、宇宙はビッグバンから生成しました。そのビッグバンが生じる確率も、R・ペンローズによって10の60乗分の一という小さなものであることはすでに述べたとおりです。すなわち10の60乗分の一違っていれば(佐藤進博士も述べているのですが、この数字が一桁や二桁違っていたとしても問題視するには当たらず、要は考えられないような偶然に頼るしかないことが明らかであることに変わりがないからです、)そもそも今ある宇宙自体、スタート時点でその芽はなかったのです。
ところで、そうした偶然に頼る見解とは別に、すでに見てきたように宇宙物理学は宇宙の基底に岩盤の如く不変の自然定数が存在することを明らかにしました。光の速さ、重力係数、電子一個の電気の量、プランク定数や巨大数などです。そして、なぜかそれらの定数は互いに微調整されているのでした。さらに宇宙を支配する基本的で異なる四つの力のあること、それらも互いに微調整されており、自然定数とも絶妙に釣り合うものでした。
そこで、こうした科学的事実に基づいて推察するなら、ビッグバンなる現象といえども何もないところに突然生じることなどありえず、しかも、プランクサイズ以前の最初期宇宙の時点で見事に微調整され互いに絶妙に釣り合うものとして、後に生じる自然定数の存在が予定されていたとすると、宇宙はサムシング・グレートが何らかの意図・目的のもとに創造したとの考えを否定できなくなります。むしろそう考える方が自然な思考の流れといえます。まさに村上和雄博士のサムシング・グレートの意志です(桜井邦朋博士の「宇宙の意志」に通じるものですが、しかしこれも、厳密に言えば宇宙は創造されたものであってそこに意志はなく、あるのは宇宙を創造したサムシング・グレードの方にあるのは明らかです)。その意志によりこうして地球ができ、そこに生命が発生し、進化の後に知的生命体である人間が存在するようになったということです。とすれば、人間はサムシング・グレートによってはじめから意図されて創造された存在だということになるはずです。
まとめ 宇宙物理学が示す人生の姿
あらためてそうした前提に立って考えるなら、サムシング・グレートが、人間を単に利己的欲望を満たし、自己中心的に生きるようなそんなつまらない存在にしようとしたとはとても思えません。そんなことのために精緻な段取りのもと137億年もの歳月を掛ける必要はなかったと思えるからです。
人間はサムシング・グレートにとって壮大な意図あるいは目的のもとに創生された存在に違いないのです。その意図や目的を今の人類の未発達な進化段階で知ることができないとしても、いずれ知ることになるはずです。人間の認識能力も人類の進化と共に高まるはずだからです。キリストや釈迦の存在とその教えは、その壮大な意図の一部を伝えるものと解することもできるでしょう。ここでは、これ以上を論じることはできません(実はこの先にこそ、個々人にとっても人類にとっても重要なメッセージがあると考えるものです。この考えはシュタイナーの精神科学を知ることからきています。)
ここでの結論として、人間はサムシング・グレートが生み出したものだとすれば、現状はともあれ人間の未来に開花する姿は、今日われわれが思っているよりはるかに尊く、未来においてその貴い本性が開花する可能性を蔵した存在ということになります。少なくとも「私たちのいのちは大宇宙、仏様から預かったものです」とい標題の禅宗老師の文言は、宇宙物理学の知見からも限りなく真実に近いメッセージということになります。
(本論の主張が一定の正当性を持つなら、いのちや精神を探究する場合には、唯物論、科学主義で壁にぶつからざるを得ません。唯物論や科学主義を抜け出さないかぎり、ひとはこの先に進み、世界と人間の実相には迫れないことになります。それゆえに真の世界観、人間観に近づくためにまずなすべきことは、唯物論、科学主義の限界を認めることです。私が以下に執筆中のブログ『人間、この尊き存在』はそのための手がかりになるはずと思っています。ご興味のある方はぜひお読みくだされば幸いです。本論がR・シュタイナーの精神科学(人智学)へのひとつの橋渡しとしての役割が果たせればうれしいかぎりです。)
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